端午の節句
先日、息子の初節句をお祝いしました。
お寺のものとしても、親としても
日本文化をちゃんと知っておきたいなぁ~ということで
お寺の記事の一つとして投稿していこうと思います!
長いお話ですがお付き合いください・・・
記念すべき第一回は、「端午の節句」です。
*由来*
むかしむかしの中国の話。
楚国に屈原(くつげん)という詩人がおりました。
彼は政治家としても活躍しており、人々に厚く信頼されていましたが、陰謀により失脚してしまいます。
失望した屈原は汨羅(べきら)という川に身を投げてしまいます。
悲しんだ楚の民は、船で川に向かい、太鼓を鳴らして魚を追い払いました。
そして、川に粽(ちまき)を投げて魚に食べさせることで、屈原の死体を魚から守りました。
屈原は死後いっそう人々に惜しまれ、多くの粽を川に投げ入れることで国の安泰を祈願し、
病気や災厄を除く風習へと変わっていくのでした。
時は流れ、三国時代。
端午の節句は、魏国の制定により旧暦5月5日に日付が定められ、やがて日本へと伝わっていきました。
一方、日本では季節の変わり目である端午の日に、病気や災厄を避けるための行事が行われていました。
この日に薬草摘みをしたり、菖蒲を浸したお酒を飲んだりという風習がありました。
厄除けの菖蒲をかざり、皇族や臣下の人達には蓬(よもぎ)などの薬草が配られました。
この日本ならではの習慣と、前述の中国の行事が一緒になって5月5日が端午の節句となりました。
この風習は宮中だけでなく、市井のものにも広がっていきました。
その後、武将が活躍する武家社会になると、端午の節句の重要なアイテムである
「菖蒲」が「勝負」や「尚武(武道・軍事などを重んじるという意味)」に通じることから、
男の子が健やかに、たくましく育つように願いを込めた「男の子のお祝いの日」になりました。
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中国&日本の歴史があわさっているので、かなり省略してもとっても長くなりました!
端午の節句に限らず節句には、残念ながら日本オリジナルというのはなかなかありません。
ほとんどが中国由来です。
しかし、勝負や尚武のダジャレ具合は日本らしく思わずにやりとしてしまったり
意味は変わっていますが、中国の春秋時代からつながっていることを考えると面白いです。
個人的には、司馬遼太郎先生の「三国志」原泰久先生の「キングダム」を
熟読している私にとって春秋戦国時代やら魏国が出てくると胸が熱くなります!
これからも息子の節句に併せていくつか記事を書けたらいいなぁと思います。